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2013.05.26.

久留米・六角堂広場:集いの場・惜しまれ解体!

解体工事・5月21日から着手!


 久留米市が同市六ツ門町に計画している市総合都市プラザ(仮称)の建設に伴い、敷地の一部となる久留米六角堂広場の建屋の本格的な解体工事が進んでいる。2003年6月に開業した広場だが、「六角堂」の名と役割は、戦後まもなく、「筑後のへそ」として、現広場の近くに建てられた木造やぐらから引き継いだ、歴史あるもの。6月末には更地となり、長年、集いの場として親しまれ続けた「六角堂」の名が消える。

 由来となった「六角堂」は戦後復興期の昭和20年代に同町にあるあけぼの商店街に建てられた。木造2階建てで、聖徳太子が創建したとされる頂法寺(京都市)の「六角堂」にあやかり、商店街の真ん中に据えられた。

 昭和30年代、やぐら1階には、当時普及し始めた「17寸のテレビ2台」を備えたテレビセンター(街頭テレビ)、2階には電話交換台が置かれた。福引きなどのイベント会場としても使われ、商店街の交流拠点として、多くの買い物客らでにぎわったという。
 現在の六角堂広場は、商店街を襲った2度の大火を経て03年6月、開業した。市が焼け跡の土地を約20億円で購入し再開発。約10億円を掛けて屋外ステージや六角形のシンボル塔、商業施設など建設し、往年の「六角堂」の名を引き継いだ。

 以来、焼きとりなどのB級グルメの祭典や土曜夜市、プロレス興行、ビール祭り、プロ野球応援会など、年間約100件のイベントが繰り広げられ、10年にわたり、商店街の集客の要として、活躍してきた。

 本格的な解体工事は5月21日から始まり、現在は重機がうなりを上げてコンクリートの建屋を崩している。都市プラザが完成すると、跡地には屋根付きの「街なか広場」を配置する計画という。